#84座目 後方羊蹄(しりべし)山

レルヒ中佐がスキー登山に挑んだ山

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レルヒ中佐像

 オーストリア=ハンガリー帝国(当時の国名)の軍人だったレルヒ中佐は、世界の予想を覆して日露戦争に勝利した日本軍を研究するため来日したのですが、滞在中スキーの技術を日本に伝えました。
 深田久弥の原著によると、レルヒ中佐は1912年3月後方羊蹄山にスキー登山を試みたものの、頂上に達することはできなかったとのことです。
 レルヒ中佐は、前年4月富士山のスキー登山にも挑戦し、9合目で断念したとされています。

 後方羊蹄山は独立峰で、北側を尻別川、南側を真狩川が囲うように流れています。
 アイヌ語ではこの山をマッカリヌプリと呼びますが、ヌプリは山の意味、マッカリは「山のうしろを廻る川」という意味で、後方羊蹄(しりべし)は尻別(アイヌ語ではシリペツで山の川の意味)から来たものだろうと深田久弥は記しています。

 ちなみに、両河川は西方に流れて合流し、尻別川として雷電岬の南西約5kmの地点(蘭越町)で日本海に注いでいます。

 この山は国道5号線・276号線等の幹線道路にも囲まれています。これだけ大きな山ですから、道路も山裾を回らざるを得ません。

 私は2018年7月下旬、半月湖から倶知安コースを往復しました。他にも、真狩コース、喜茂別コース、京極コースがありますので、好みに合わせてアレンジが可能です。ただし、頂上付近の避難小屋に泊まることを避けその日のうちに下山するよう推奨されていました。

 半月湖登山口を出発すると二合目あたりから登りが始まります。前日に遭難事故があったらしく、登りの途中で消防隊員に付き添われて下山してくる一行とすれ違いました。天気は朝からずっと濃霧で展望もきかないので、じっと我慢の登山でした。一本道をずっと登っていくと、九合目で避難小屋への道を右に分け、お鉢の一角に上がりました。三角点は、火口を挟んでほぼ反対側なので、お鉢を半周近く歩いて頂上に到着です。

 終日霧の中で眺望を得られませんでしたが、可憐に咲く高山植物が慰めになりました。

 翌日倶知安の街から後方羊蹄山を見上げると、二層の笠雲に覆われていました。登山中の方は、途中まで展望を楽しめても、雲の中では悪天候に遭遇しているのではないかと懸念されるような、厚く不気味な笠雲でした。

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笠雲に覆われた後方羊蹄山