赤城山
コルチナ五輪メダリストゆかりの地
赤城には2回訪れていて、黒檜山の後に地蔵岳にも回ろうと思っていながら、いずれも主峰黒檜山登山と湖畔の散策で満足して帰ってしまいました。
深田久弥が著書で「赤城は、登山というより逍遥という言葉のあたる、大きなプレイ・グラウンドであって、その中心は、山上の火口湖の大沼(おの)である。」と記しているように、登山以外にも楽しみの要素がたくさんある場所だと思います。
大沼の南側湖畔近くの駐車場に車をとめて出発。駒ケ岳から黒檜山へと反時計周りに歩きます。
まず目指すのは駒ケ岳。駐車場と道路を挟んで反対側にある駒ケ岳登山口から登り始めました。勾配が少しずつ急になり、鉄製階段を登り、駒ケ岳に到着します。
一度下って花見ヶ原をとおり黒檜山の登りにかかります。石祠のあるピークを越えて、大沼への下山路を左に分けて黒檜山山頂へ到着です。
山頂には絶景ポイントまで2分との看板があります。
山頂を後に大沼へ向かって下山開始。猫岩を過ぎると大沼と赤城神社を箱庭のように見下ろすことのできるポイントがあります。赤城神社は9世紀初頭創立の由緒ある神社です。
湖畔に下りてからは車道を歩き、途中赤城神社を通って、出発点の駐車場に戻ります。
猪谷六合雄と猪谷千春
冬季オリンピックのアルペンスキー種目で日本選手唯一のメダリストである猪谷千春氏。1956年イタリアのコルチナで開催された第7回冬季オリンピックの回転競技で、三冠王トニー・ザイラーに次ぐ2位の成績をおさめ、銀メダルの栄誉に輝きました。
このメダリストを厳しく育て上げたのが、父親である猪谷六合雄(くにお)氏(1890-1986年)です。日本スキー界の草分けであり、雪山を求めて生涯を通して各地を巡り続けました。国後、乗鞍、浅虫、志賀高原、土樽(順不同)等、移住した回数の多さに驚きます。
もともと赤城の猪谷旅館の長男として生まれた方です。ただ旅館を継ぐのではなく、故郷を飛び出して夢を追い求め続けましたが、これは常人のできることではありません。
猪谷六合雄氏の自伝である「雪に生きる」は、1943(昭和18)年の初版依頼、新潮文庫や岩波少年文庫など、復刊や文庫化が何度も重ねられてきましたが、昨2021年12月めでたく新装復刊版が発売されました。
地球の持続可能性(サステイナビリティ)が叫ばれる今日より約100年も前に、そのような生活を実践した偉大さに、畏敬の念を抱かざるをえません。
(2002年8月登頂)(26座目)
(2017年8月再登頂)