日本三大急流と黒部川
三大急流より急な黒部川
日本の三大急流と呼ばれる、最上川・富士川・球磨川。登山者になじみの深い黒部川がなぜ三大急流に入らないのかという、素朴な疑問を抱きます。
日本三大急流に共通なのは、江戸時代に舟運が行われ、急流を下るための船を操る人がいたことです。文明開化後は鉄道に運搬の役割を譲りましたが、操船技術を活かして、観光舟下り船が運行されている河川もあります。
私見となりますが、川で急流を実感しそれを語る人がいたことが、日本三大急流に選ばれる共通要素です。黒部川は長らく秘境として閉ざされ多くの人に知られる機会に恵まれなかったことが、三大急流に入らなかった理由と思います。
最上川
最上川は、日本百名山西吾妻山(標高2024m)に端を発し、山形県内を流れて酒田市で日本海に注ぐ川です。
延長距離229kmで、江戸時代には山形県内陸部と酒田の間の舟運が盛んでした。現在では舟下り観光が有名です。
私見ですが、松尾芭蕉の句「五月雨(さみだれ)を あつめて早し 最上川」が、急流河川として知られるための決定打になったのではないかと思っています。
河川の勾配の目安となる「河床勾配」は、上流部の急な部分で200分の1程度です(国土交通省による)。
(注)河床勾配とは、分子を1、河床の高さが1m上がるために必要な距離(m)を分母とする分数です。100分の1であれば、100m上流に行くと河床の高さが1m高くなる勾配です。分母が小さくなるほど勾配が急になります。
富士川
長野県の南アルプス鋸岳(標高2685m)に端を発する釜無川が、日本百名山甲武信岳(標高2460m)に端を発する笛吹川と、山梨県の甲府盆地で合流して富士川と名を変え、静岡県の駿河湾に注ぎます。
延長距離128kmで、江戸時代には甲斐と駿河の間の物流を担いました。現在観光舟下りは行われていないようですが、下流部でもラフティングができるくらいの急流がある珍しい川です。
私見になりますが、安藤広重が景勝地の釜口狭を描いた浮世絵「富士川上流雲中の図」が、日本三大急流の一つに数えられるようになった決定打ではないかと思っています。
河川の勾配の目安となる「河床勾配」は、上流部の急な部分で100分の1程度です(国土交通省による)。
球磨川
球磨川は、銚子笠(人吉盆地の山で標高1489m)に端を発し、人吉盆地から八代平野に出て、八代湾(不知火海)に注ぐ川です。
延長距離115kmで、重機もない17世紀に巨岩を取り除いて舟運ができるよう開削工事をしたことには驚きです。人吉盆地と八代平野の間の物流を担いました。現代の舟下り観光に操船技術が継承されています。
2020年7月豪雨で球磨川の堤防が決壊し、家屋や特別養護老人ホーム等が水に浸かって多くの犠牲者を出した甚大な災害は記憶に新しいと思います。
河川の勾配の目安となる「河床勾配」は、上流部の急な部分で200分の1程度です(国土交通省による)。
黒部川
黒部川の河床勾配は、山間地で5分の1から80分の1程度で、日本三大急流と比べ物にならないくらいの、日本屈指の険しい川です。
1963年の黒部第4ダム完成により中ノ廊下が水没して様相が一変し、ダムより上流を上ノ廊下、下流を下ノ廊下と呼ぶようになりました。
黒部川は、水力発電のエネルギー源として貢献してきました。
黒部川水系の12水力発電所の合計最大出力は約91万kw(関西電力株式会社ホームページによる)と、原子力発電所1基分に近い発電能力を有しています。
経済産業省によると、発電用水として活用可能な水力エネルギーである「包蔵水力」(未利用分も含めた概念)の観点から、黒部川水系は第7位の位置づけにあります。
ちなみに、第1位は木曽川水系、第2位は信濃川水系、第3位は阿賀野川水系です。日本三大急流では、第9位の富士川水系がトップで、河川と私たちの暮らしの関係について別の側面が見えてきます。
水力発電は、再生可能エネルギーの中で、風力や太陽光と比べて出力がはるかに安定的です。
飲み水や農業用水に加え、暮らしに欠かせない電気の面でも水の恩恵にあずかっていることに感謝したいと思います。
(注)北アルプス北の俣岳(標高2662m)に端を発し富山湾に注ぐ常願寺川は黒部川よりも更に勾配が急です