八甲田山

雪中行軍で多数の犠牲者を出した山

 深田久弥は著書日本百名山で、西暦1902年(明治35年)の青森歩兵連隊による雪中行軍遭難事故が、八甲田山の名を広く世に知らしめたとしています。
 この時代、日本ではロシアと大陸で戦火を交える事態に備えて、東北地方に駐屯する陸軍部隊が、雪中行軍による訓練を重ね、積雪地での戦闘能力向上をめざしていました。
 そのような時代背景の中、八甲田山の北麓で起きた事故です。

 この遭難事故を題材とした新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」が1971年に出版されベストセラーとなりました。続いて、この小説をもとに制作された映画「八甲田山」が1977年に公開され、その年の日本映画興行収入第1位になりました。

青森第五連隊と弘前第三十一連隊

 西暦1902年1月、ほぼ時期を同じくして、青森第五連隊と弘前第三十一連隊がそれぞれ別々に八甲田山周辺で雪中行軍を実施していて、青森第五連隊は210名中199人が凍死、弘前第三十一連隊は38名全員が生還という対照的な結末を迎えました。
 無事生還した弘前隊も、杖を突きながらふらふらで下山してきたとのことです。

今なお続く真相究明

 この事故は、当時、異常寒波による天災と位置付けられ、真相究明がなされないまま歳月が経過しました。
 新田次郎の小説も、生還者への取材に基づいて構築されたものの、刊行までに全容が解明されていたわけではないようです。

 小説や映画と現実との違いに気づき、証言録音テープや資料をもとに真相究明を図る努力が続けられ、その成果が近年でも出版物として刊行されています。

 伊藤薫著「八甲田山 消された真実」は、元自衛官である著者が、青森隊の生還者小原伍長の証言録音テープを契機として各資料を吟味し、山と渓谷社から2018年出版に至ったものです。自らも積雪地での演習を経験している強みが著書に活かされています。

 「八甲田雪中行軍120年目の真実」は、弘前連隊の雪中行軍に参加した隊員の孫にあたる元自衛官間山元喜氏が、弘前連隊福島隊長の生家の蔵に眠っていた資料等をもとに真相を追求し、自らも弘前隊の雪中行軍コースを実証体験するなどして、120周年となる2022年1月に刊行したものです。ノンフィクション作家川嶋康男氏との共著によるものです。

 両書とも、青森県に駐屯経験のある元自衛官の手によるところが共通点であり、豪雪地の気象に関する知識と、自衛隊組織に所属した経験等を活かして著された力作です。

私の山行

 私は夏に赤倉岳・最高峰大岳・仙人岱等を逍遥し酸ヶ湯に下山しました。仙人岱の看板には、「登山者に踏み荒らされて湿原が消失した」とありました。
 南八甲田には原始的な魅力が残されているように思えますが、時間がなく足を延ばせなかったことが心残りとなっています。

八甲田
八甲田の山なみ

(2005年8月登頂)(30座目)

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