伊吹山と武甲山

石灰岩の山 削られる運命

 伊吹山と武甲山の共通点は石灰岩の鉱床を有することです。山が削られ、近代建築に欠かせないセメントの原料になってきました。特に武甲山の山体変容が激しく山の北半分が消失した感があります。

 武甲山の北半分は、日本屈指の良質な石灰岩でできていて可採埋蔵量も豊富なため、明治時代からセメント原料として掘削が行われてきました。1900(明治33)年の測量で武甲山の標高は1336mでしたが、1977年に三角点が標高1295m地点に移され、1980年山頂が爆破されました。
(その後三角点付近の調査結果として最高地点の標高が1304mであると国土地理院が2002年発表)
 武甲山山頂には武甲山御嶽神社の奥宮があり、1975年山頂の社地を譲って50m低い場所に移転しました。神聖な神社が、資源採掘のために遷座するのは極めて異例なケースと思います。

 石灰岩土壌には特有の植物が生育しますが、武甲山北面にあった1951年国指定天然記念物「武甲山石灰岩地特殊植物群落」も採掘により消滅しました。
 ここに自生していた「チチブイワザクラ」と「ミヤマスカシユリ」は2000年埼玉県の絶滅危惧種に指定され、現在「危機的絶滅寸前」とされてレッドリスト入りしています。
 天皇陛下が皇太子の時代に武甲山が削られていく姿をご覧になり、「武甲山が泣いている」と述べられたとの話を聞いたことがあります。

 一方の伊吹山は、南西斜面に石灰岩の鉱脈があり、1951年まず自然崩落地から採掘が始まりました。その後発破作業による採掘に移行しています。山体が変容するような事態に至らないよう願っています。

 石灰岩の源は、サンゴ礁等が堆積したものです。南洋の海から太平洋プレートとともに現在の位置まで移動して隆起したのですから、地下活動の壮大さに驚くばかりです。

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私たちにできること

 現代社会にセメントが必要不可欠な資源であることに鑑みると、石灰岩の山は今後も削られ続けるとの悲観論に立たざるを得ません。
 しかし、そのダメージを軽減するために社会ができることはあります。
①例えば不要なダムを造らない、必要なダムは極力ロックフィル方式を採用する等の、公共事業の見直し。
②コンクリートを使用しない木造ビルディングを可能なものから採用
等を挙げることができます。

 前者は過去半世紀に一定程度建設されていますが、岩盤強度の脆弱性等コンクリートダムの建設が難しい場合の代替手段的色彩が強かったように思います。
 後者は、木造建築物に対する法令上の制約が厳しかったところ近年規制緩和が進み、建築家隈研吾氏のデザインによる12階建耐火木造建築物が2021年東京銀座に登場するなどの実例が出ています。
 一度失うと取り返すことの難しい自然を保護するために、国をあげての強力な対策が望まれます。