魔の山 谷川岳
深田久弥は、谷川岳が有名になった理由として、魔の山と呼ばれてきたことを挙げています。この山での遭難死者数が世界のどこの山にも類を見ないほど突出していたため、こう呼ばれるようになったのです。
ただし、死亡事故は東面の岩壁に集中しており、天神平からの登山路のように一般登山者に親しまれているルートもあります。
谷川岳でこれだけの犠牲者が出た要因として、下記の点等が考えられます。
①戦後のアルピニズム高揚とともに困難に挑戦する登山者・クライマーが増えた
②太平洋側と日本海側の中央分水嶺に位置し天候急変・降雪・雪崩等気象条件が厳しい
③関東地方の大都市から近く夜行日帰り等の強行日程を組むことも不可能ではない
日本百名山が出版された1964年以降の、「魔の山」のその後を見ていきましょう。
群馬県谷川岳遭難防止条例
上越線の土合駅が信号所として開業した西暦1931年から遭難者数が把握されるようになり、1966年までに谷川岳で命を落とした人の数は累計455人にのぼりました。
この年(1966年)、群馬県谷川岳遭難防止条例が制定されました。
一の倉沢等死亡事故発生件数の多い山域を「登山危険地区」と定め、3月1日から11月30日の間このエリアでの登山を計画する者に10日前までの登山届提出義務を負わせるとともに、この期間外すなわち冬期は登山しないよう努めさせるという内容です。
雪崩の危険が増す春など、その年の状況により登山禁止期間を弾力的に設けることもできます。
新清水トンネル開通
土合駅をおりるとそこが登山口という便利さから、多くの登山者がこの駅を利用してきました。
しかし、1967年新清水トンネルが開通すると、土合駅の下りホームはトンネル内の地下に移り、地上に出るまで462段の階段を登らなくてはならなくなりました(更に連絡通路に24段の階段あり)。
以降、土合駅は「日本一のもぐら駅」と呼ばれるようになりました。
横山秀夫の小説を映画化した「クライマーズハイ」のオープニングシーンで、土合駅地下ホームと階段が舞台として使われています。
山岳遭難者世界一のギネス記録
一つの山での犠牲者数が世界的に見ても著しく突出していることから、2005年に谷川岳が「世界一遭難者が多い山」としてギネス認定されました。1931年からこの年までの遭難死者数は、累計781人にのぼります。
私と谷川岳
私は2007年8月に、日本百名山39座目として、トマの耳(標高1963m)とオキの耳(1977m)の頂を踏みました。
ロープウェイ山麓駅駐車場に車をとめ、天神平まで文明の利器を利用して山頂へ往復したので、魔の山と感じることなく、天上の楽園ハイクを楽しんだ感じでした。
なお、谷川岳ロープウェイは、ゴンドラが2本のロープを、両手を広げたような形で掴む「フニテル式」と呼ばれるもので、日本では他に箱根や蔵王等でしか見られない形式のものです。
1本のロープにぶら下がる一般的なゴンドラよりも風に強いとされます。