甲武信岳(こぶしだけ)

東大生の遭難で有名になった山

 山岳遭難で有名な山として、まず谷川岳を挙げることができます。これは一つの山域での累計遭難死者数が世界的にも突出していたこと、それゆえギネス登録されたことが理由と思います。
 そして甲武信岳は、1916(大正5)年夏に東大生ら4人が死亡した遭難事故1件で有名になった山です。
 深田久弥は、この事故が「甲武信岳の遭難」として、日本全国で大ニュースになったことを記しています。

用意周到すぎたことが遭難原因の一つ

 山岳遭難によくある原因の一つとして、準備不足や軽装登山等があります。
 しかし、登山家小暮理太郎氏(西暦1873-1944年)は、日本山岳名著全集第12巻(あかね書房刊)のなかで、この事故の根本要因は数日間降り続いた雨である一方、用意周到のあまり重くなりすぎた荷物を担いで道に迷い歩き回ったための疲労が最大原因であるとしています。
 そのうえで、以下の点等を追加指摘しました。
①天候を顧みず出発したこと
②地形の特徴についての研究不足(展望がきかない場合を想定した事前研究の余地があった)
③未知の山域に入るにもかかわらず案内人を雇わなかったこと

(注)深田久弥は、学生時代(大正時代末期から昭和初期にかけて)の奥秩父の状況について、「登山路も整備されず、山小屋にも乏しく、指導標などというものは殆んどなかった」と著書「日本百名山」に記している。

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名前の由来は三県境の山であること

 甲武信岳とは、一見不思議な名前ですが、由来は、甲州・武州・信州(現在の山梨県・埼玉県・長野県)の三国境にあることによるものです。

 同様に三都道府県にまたがる日本百名山として雲取山があります。現在の山梨県・埼玉県・東京都の境に位置します。
 多摩地域(北多摩・西多摩・南多摩のいわゆる三多摩)が1893年神奈川県から現東京都に編入されたことにより、東京都は雲取山を擁することになったのです。
 雲取山から笠取山周辺の原生林は「東京都水道水源林」となっていて都民の水がめ的水源涵養林です。東京都水道局が1901年以来手入れに当たってきました。現在その広さは約2万5千ha(東京ドーム5,347個分)に及びます。
 笠取山に多摩川の最初の一滴が滴り落ちる「水干」があります。👉水干についてはここをクリック