磐梯山
明治以降で最大の犠牲者を出した火山災害
1888年(明治21年)7月15日の磐梯山噴火は、死者477人、負傷者28人(内閣府防災ページによる)という、明治以降では最大の犠牲者を出した噴火災害です。
2回目の山行 スキー場の中を登るのは辛い
2019年夏、この山を再び訪問しました。幌尻岳(2019年9月登頂)を控えて、その前月にトレーニングを兼ねて登ったものです。
猪苗代スキー場の駐車場に車をとめ、スキー場の中を登り始めます。最初は緩斜面ですが、次第に傾斜が急になります。伊吹山の時もそうでしたが、スキー場の中を登るのは辛いものです。スキー場は滑って降りる人のために造っているので、登りやすくないのは当たり前ですね。振り返ると猪苗代湖を見下ろすことができます。
1時間程度するとスキー場のパトロール小屋、もう1時間程度で沼の平です。ここは湿原ですが、古い爆裂火口跡地とのことです。
ここから弘法清水をへて、最後の急登に耐えると山頂です。山頂からは360度の眺望を満喫することができました。眼下にはスキー場やゴルフ場を見下ろすことができます。
下山は往路を戻りました。スキー場の中を降りている間、日射を遮るものがないので熱中症になりそうでした。駐車場の自動販売機で買ったコーラのペットボトルを一気飲みです。
1回目の山行 蜂アブの襲来に参った
最初の山行は2005年夏で、裏磐梯スキー場からの周遊ルートです。駐車場に着くと、アブやハチが大勢で車を包囲し、窓ガラスにコツコツ当たってきます。場所を移動したりして車から出るまでに時間を浪費しました。他の山でも同じようなことを何度か経験しました。
草原の中を歩き始め、次第に急登になり、桧原湖を背後に登っていきます。銅沼のほとりを過ぎると樹林帯の急登となり、中ノ湯の下を通って火口壁の縁を通りながら弘法清水に出ます。ここから急な直登に耐えると山頂です。
下りは弘法清水に戻ってから、沼の平側を周遊して出発点に戻りました。
景色はこのコースの方が優れています。裏磐梯から見る荒寥とした爆裂火口が、小磐梯という山が水蒸気爆発で崩壊した1888年の噴火の凄まじさを物語っています。
当時はデジカメをもっていなかったので、写真を掲載できないのが残念です。
噴火への備えを
磐梯山火山防災協議会発行のパンフレットでは、磐梯山登山にあたり下記の装備を携行するよう奨めています。
〇タオル・マスク(火山灰や火山ガスの吸引対策)
〇ヘッドライト・懐中電灯(降灰時の視界確保)
〇大きめのリュック・ヘルメット(噴石からの身体保護)
〇携帯電話・携帯ラジオ(緊急時の情報収集)
〇非常食・飲料水(避難時の備え)
(2005年8月登頂)(31座目)
(2019年8月再登頂)