鉄砲伝来とスキー伝来
西暦1543年種子島に漂着したポルトガル人が日本に鉄砲をもたらしました。火縄銃と呼ばれるもので、刀鍛冶の手によって複製され戦国時代の大名間の戦いに大きな影響を与えました。典型的な例として1575年織田信長軍が長篠の戦いで3000艇もの鉄砲で武田軍を壊滅させたことが有名です。
鉄砲伝来は、戦国時代の終焉と天下統一をもたらした、軍事的エポックメイキングな出来事だと思います。
スキー伝来
1910年11月、オーストリア=ハンガリー帝国(当時の国名)の軍人レルヒ(1869-1945年)が、世界の予想を覆して日露戦争に勝利した日本陸軍を研究するため来日し、約2年間の滞在中、ヨーロッパのスキー技術を日本に普及させました。
来日時は少佐の地位で、新潟県高田の第13師団に着任しました。そして1911年1月12日から約2か月間、日本の軍人や教師を対象にスキーの講習会を開催しました。その後中佐に昇進して北海道に赴任したため、北海道ではレルヒ中佐として愛されています。
ヨーロッパでは、ノルウェーの科学者ナンセン(1861-1930年)が1888年、スキーでグリーンランド横断の快挙を成し遂げたことにより、スキーへの関心が急速に高まっていました。その刺激を受けたオーストリア=ハンガリー帝国(当時の国名)のツダルスキー(1866-1940年)が、アルプスの急斜面に対応できる一本杖とボーゲンによる滑降術を考案しました。ツダルスキーの弟子だったレルヒ少佐が、その技術を日本にもたらしたわけです。
レルヒ少佐にとって、スキーは第一に軍事上の移動手段なので、急峻なアルプスを転ばず確実に降りるために、一本杖を使ってボーゲンやシュテムの技術(スキーをハの字に開いてターンする技術)で制動をかけながら滑り降りるものでした。
ちなみに、スキーを平行にしたまま滑るパラレルターン技術が確立されたのは、第1回冬季オリンピック(1924年フランス・シャモニ)等の競技会開催を機にスピードを追求する時代になった1930年頃とされています。
レルヒ少佐は来日前、母国の軍幹部にスキーの軍事的重要性を説いたのですが、スキーを娯楽ととらえる風潮の中で苦労を重ねたようです。
日露戦争に勝利した日本軍の研究のために、各国から交換将校が来日しましたが、その多くは都市部への赴任を希望し、雪国を希望したレルヒ少佐は稀有な存在です。
一方、日本陸軍は1902年の八甲田雪中行軍で多数の凍死者を出したことから、スキーの利用に関心を持っていました。
双方の関心が一致したことが、レルヒによる日本へのスキー伝来につながったと言えます。
軍事的目的のために伝わったスキーですが、戦国時代に伝来した鉄砲のような軍事上の役割ではなく、「ウィンタースポーツの王様」として発展を遂げました。
私たちがスキーやスノーボードを楽しむことができるのも、スキー伝来のおかげです。
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