屋久島と白神山地
世界遺産登録後異なる道を歩んだ両地域
屋久島と白神山地は、1993年日本初のユネスコ世界遺産として登録されました。
しかし、両地域はその後対照的な歩みをたどりました。
屋久島は登録後観光客が激増し、世界遺産を観光資源として集客したと言えます。
一方白神山地は自然遺産エリアへの入山者を制限してきました。自然環境の保全を最優先する姿勢を貫いています。
この背景に何があるのかを考えてみました。
屋久島と屋久杉
鹿児島県の屋久島は年間降雨量が1万ミリメートルに達するほどの多雨地帯であり、屋久杉は身を守るために樹脂分を多く蓄え腐りにくくなるよう進化を遂げました。また年輪が密であり、これは栄養分に乏しい花崗岩土壌の上でゆっくり育つためです。
屋久杉のこのような特質を活かし、住居の屋根材として古くから活用されてきました。江戸時代には薩摩藩の藩主島津氏が、屋久島における年貢を米に替え屋久杉で徴収し、主に関西方面へ屋根材として出荷して藩の財源としました。
大正時代には、屋久杉を山中から港へ搬出するための森林鉄道が開通しました。
このような経緯から林道も含め往来ルートが確保されていたため、世界遺産を観光資源として活用する交通インフラが既に整っていました。これが屋久島の特色と思います。
例えば、屋久杉の代表格である縄文杉の場合、山麓から荒川登山口へシャトルバスが運行され、ここから森林鉄道の廃線跡を歩いて訪ねるルートが多数の観光客に利用されています。
ちなみに、屋久島が世界自然遺産として登録されてから屋久杉の伐採を制限する動きが強まり、その後禁止されました。
現在屋久杉の木工品として販売されているのは、倒木や切株等を利用して加工したものです。
長年土に埋まっていたのに新品のような色つやがあるのは、樹脂分が多く腐りにくいためです。
白神山地とブナ
青森県と秋田県にまたがる白神山地は、もともと人の往来等の少なかったエリアで、世界遺産登録時に交通インフラは未整備状態でした。登録後は自然を保全することが世界遺産維持のための義務となり、観光のためにインフラ整備をすることは困難です。
ただし、ブナの木も森林資源として伐採の憂き目にあってきました。ブナは漢字で、木偏(へん)の右側に「無」と書きます(変換で出てこないため「へん」と「つくり」で説明)。これは「役にたたない木」であることを示唆していて、具体的には木材としての利用価値があまりないことを意味します。反りやすく腐りやすいためです。
しかし滑らかな材質のため、紙パルプの原料として着目され、利用されてきました。秋田県と山形県にまたがる鳥海山エリアにも、白神山地に比肩するほどの広大なブナの森がありましたが、奥羽本線という幹線鉄道沿いに位置したため、広大な面積の森を失いました。
白神山地は、五能線というローカル線沿いに位置し不便だったため、運よくブナの森が残ったのでしょう。
鳥海山麓では1994年、「鳥海山にブナを植える会」が発足し、種(ブナの実)の採取・育苗・植樹会・下草刈等を行い、ブナの森を取り戻すための活動を展開しています。三陸海岸での「森は海の恋人」というコンセプト同様、漁業関係者との協力を重視していることも特徴として挙げられます。ブナの森に浸み込んだ栄養豊かな水が海中に湧き出て、岩ガキをはじめ豊かな海の恵みをもたらすからです。
ブナの森の中では多様な動植物が生育し、また「緑のダム」と呼ばれるほどの保水力があります。
木偏(へん)の右側に「無」と書いて、あたかも役に立たない木であるかのように命名されましたが、「伐採しても役に立たないからそのままにしておいてほしい」とのメッセージを伝えるための先人の知恵のような気がします。