五竜岳

戦国武将の家紋がある山

 戦国時代この地域を勢力下においた武田信玄の家紋である武田菱が、残雪期になるとこの山の東面にくっきりと見えるようになります。あたかも武田軍勢が自国の領土であることを誇示するために彫ったかのように思えて、見るたびに不思議な気持ちになります。

五竜岳武田菱
五竜岳東面の武田菱

 甲斐の国を領土とした武田信玄は、小豪族の群雄割拠する信濃の国への領土拡大を図りました。
 昭文社刊「地図でスッと頭に入る戦国時代」によると、西暦1542年諏訪への進攻を皮切りに、上田・塩尻・伊那の各方面へ進出し、1550年代半ばには信濃の大半を制圧したとされています。
 一方、信濃を追われた豪族からの救援要請に応じて出兵したのが上杉謙信です。上杉軍と武田軍の衝突である「川中島の戦い」は、1553年から1564年の間5度にわたって繰りひろげられました。
 この戦いの後、上杉軍は本領の越後に退き、武田信玄はこの地に居座り続けました。

 深田久弥(1903-1971年)は、八方尾根スキー場ができたことによって登山者以外にも五竜岳を間近に見ることができるようになったと著書「日本百名山」に記しています。
 その後、神城スキー場ができ、1973年標高1515mのアルプス平へスキーゴンドラ「テレキャビン」が架けられ、更に近くで五竜岳を仰ぐことができるようになりました。これは深田久弥没後のことです。
 このスキー場は変遷を経て五竜とおみスキー場となりましたが、2017年スキー場初となる命名権(ネーミングライツ)を導入し、「エイブル白馬五竜」に名を改めました。

 ちなみに野球場やサッカー場では2003年から命名権の導入が始まり広く普及しました。
 Jリーグの「FC東京」や「東京ヴェルディ」が本拠地とする「味の素スタジアム」は、日本の公共施設として初めて命名権を導入した先駆的存在です。

難所の八峰キレット

 私が五竜岳に登頂したのは1976年夏で、白馬岳から裏銀座方面へ縦走する途中でした。詳細は忘却の彼方ですが、印象に残っているのは、鹿島槍ヶ岳との間にある「八峰キレット」がかなりの難所だったことです。ぬかるんで滑りやすい箇所もあり、北アルプス三大キレット(※)の中で、私はここが一番怖いと感じました。
※他の二つは槍ヶ岳~穂高岳間の「大キレット」と白馬岳~唐松岳間の「不帰(かえらず)キレット(不帰の剣)」

 キレットをはじめとする急峻な岩場では、頭部を落石から保護するためにヘルメットを着用することが重要です。