乗鞍岳
戦闘機エンジンの開発が行われた山
深田久弥は、乗鞍岳について「戦後頂上まで登山バスの通じたことは一つの驚異」と記しています。その道路が建設されたきっかけは、第二次世界大戦中、この山で戦闘機用エンジンの高地試験が行われたことにあります。
乗鞍岳直下標高約2700mの畳平に、旧陸軍航空技術研究所の「戦闘機実験場」が建設されることになり、このためのアクセス道路が1941年着工し1942年秋開通しました。この軍用道路が今日の乗鞍スカイライン(平湯峠~畳平)の元となる道路です。
空気の薄い高高度でも高性能を発揮できる過給機(ターボチャージャー)付エンジン開発を目指し、技術者が試作エンジンを実験場に持ち込み、テストデータを計測しました。試作エンジンは資材不足等の要因により実用化されないまま終戦を迎えました。
濃飛バスホームページによると、この道路が乗鞍スカイラインとして活用されるようになった経緯は大要以下のとおりです。
「陸軍は3m幅の軍用道路を建設するため32万円(当時)の予算で計画したところ、将来観光道路への転用を視野に入れていた濃飛バス初代社長が、道路の幅をバス運行認可の降りる3.6mとし、追加で必要となる8万円(当時)を個人で負担することで、陸軍を説得することに成功した。」
この道路は戦後岐阜県道に編入され、登山バスが1948年から運行されるようになりました。
一方、実験場の建物は戦後国鉄に払い下げられ、乗鞍山荘となりました。国鉄の分割民営化後はJR東海が管理運営を引き継ぎましたが、老朽化のため2008年に解体されました。
私の山行
私は2011年7月、日本百名山51座目として乗鞍岳に登頂しました。関東地方からは、乗鞍エコーラインによるアクセスが便利なので、長野県側乗鞍高原からの登山バスを利用しました。
「大きな乗鞍岳をちょっとしか歩かなかったのがもったいなかった」と思っています。
(注)乗鞍スカイラインは2022年秋の道路崩落により全面通行止となったまま冬期閉鎖期間を迎えています。2023年の動向については、最新の情報を確認するようお願いします。