種まき爺さん まだ見ることができました

種まき爺さんの雪形

 春になり山の雪解けが進むと、斜面に雪形模様が現れ、昔は農作業の目安として用いられました。雪形には、残雪の形そのものと、雪が解けて現れた地肌の形のものの二種類があります。種まき爺さんの雪形は各地で見られますが、先週6月初頭に見た爺が岳の雪形を紹介します。

tanemaki jiisan
爺が岳の種まき爺さん(見頃を過ぎて肥大化)

 北アルプス爺が岳の山名は、春に「種まき爺さん」の雪形が現れることに由来します。しかも二人の種まき爺さんが現れます。最初に現れるのが爺が岳南峰直下の爺さん(写真の左側の爺さん)。大町山岳博物館HPによれば、見ごろは3月下旬から4月下旬となっています。遅れて現れるのが南峰と中央峰の鞍部付近の爺さん(写真の右側の爺さん)。同HPでは見ごろを4月中旬から5月上旬としています。写真は今年6月初頭に信濃大町の霊松寺で撮影したものです(フレスポショッピングセンターからでも見えます)。どちらも見ごろを過ぎていますが、まだそれなりに見えます。特に左側の爺さんは肥大化してしまいましたが、見ごろ時期に安曇野あたりから見ると、形が整って見えるとのことです。右側の爺さんは信濃大町あたりから見るのが良いと言われます。

五竜岳の武田菱

 もう一つ紹介するのは、五竜岳の東面に現れる武田菱です。大町山岳博物館HPによると、見ごろは4月初旬となっています。

takeda diamond
五竜岳の武田菱(4月上旬)

 甲府駅前の武田信玄像が有名なため、この辺りまで武田領だったことに気づきにくいですが、信玄の支配した地域に自然の造形による武田菱があるのも、できすぎていて面白いです。
 武田信玄と上杉謙信の対立は川中島の戦いが有名です。西暦1553年から足掛け11年の間に5回の合戦があり、明白な勝敗はつかなかったものの、戦いの後謙信は越後に引き上げ、信玄が居座り、このあたりは武田領になったとされています。