私は1954年東京都で生まれました。
 最初の山との出会いは小学校時代の高尾山への遠足です。登山口から沢沿いに登り尾根に取りついた時、展望が一気に開け下界の眺めに感動したことを今も鮮明に覚えています。
 百名山の一座目は小学6年生の時に親に連れられ登った雲取山です。原生林の森で巨大なサルノコシカケを見つけたのが一番印象に残っています。
 学生時代には北アルプスや東北・北海道等の山々へ幕営山行をしましたが、当時「日本百名山」は全く意識になく、成り行き的に登っていました。
 社会人になってから長期のブランク期間に突入しましたが、子どもたちが小学生の頃に、夏休みの旅行ついでに軽いファミリー登山をしました。
 いつ頃から日本百名山達成を意識しだしたのか定かでありませんが、アラフィフを過ぎてからでしょうか。血圧が高くなり始め、医者から「薬を飲むか、減量減塩に取り組むか、どちらにしますか?」と聞かれ、「高血圧の薬を飲み始めると一生やめられない」と聞いていた私は「減量・減塩」と応えました。減量にはカロリーを大量消費できる山が最適と考え、8月の夏休み時期を利用して南アルプス核心部に初めて踏み入れました。5kgの減量に成功するとともに、自分の年齢では難しいと思っていた「体力勝負の南アルプス南部の山」に登頂できたことで、百名山を全部登れるかもしれないという「夢と希望」が湧いてきました。
 以降週末中心の山行により、ゆっくり進捗しましたが、最終段階になって立ちはだかったのがコロナ禍です。リーチ状態が思った以上に長くなりましたが、流行の谷間のタイミングをとらえ感染対策をとりながら、最南端の宮ノ浦岳で締めくくることができました。
 百名山に取り組んでいる間はブログサイトを開設することなどゆめゆめ思っていませんでしたが、記憶と記録の新しいところから「プレイバック日本百名山」形式で行けるところまで遡ってみたいと思います。

山梨県の深田記念公園にある自筆の碑