浅間山
火山観測体制日本一の山
1911年日本初の火山観測所が設置された浅間山は、火山監視体制の最も整った山です。
1783年に起きた天明の噴火は、5月に始まり約3ヶ月にわたる大規模なものでした。鬼押出し(山頂の北方4km)は、この噴火による溶岩流によってできたものです。
しかし、多数の犠牲者を出したのは、溶岩流ではなく泥流によると言われています。
2022年4月17日NHKテレビで放映された「明日を守るナビ 浅間山噴火 過去の災害に学ぶ旅」によると、1783年5月9日(現)群馬県嬬恋村鎌原地区を襲った土石なだれにより、村が埋まり住民570人のうち477人が亡くなったとのことです。
吾妻川中流の八ッ場ダム付近では、厚さ3mの土砂が堆積したことが発掘調査により判明しています。
更に驚くべきことに、吾妻川と利根川を100km以上も下った旧日光街道幸手宿(現埼玉県幸手市)に保存されている絵図には、土砂とともに遺体が流されている様子が描かれており、番組は下流の東京湾や千葉県銚子にも流れ着いたことを伝えています(江戸時代の利根川は東京湾と太平洋の両方に注いでいました)。
泥流による犠牲者総数は1500人以上と言われています。
火山観測体制の強化
浅間山に観測所が設置された後、1923年に雲仙岳測候所、1931年に阿蘇山測候所が設置されるなど、順次観測体制の強化が図られました。
1974年には気象庁を事務局とする「火山噴火予知連絡会」が発足しています。
2007年から、重要な火山について、5段階の噴火警戒レベル(1=活火山であることに留意、2=火口周辺規制、3=入山規制、4=高齢者等避難、5=避難)の運用が開始され、対象火山が順次拡大されてきました。
しかし2008年に運用対象となった御嶽山が、噴火警戒レベル1のまま突如2014年に噴火したことで、多数の犠牲者を出すとともに、噴火予知の難しさが改めて浮き彫りになりました。
この噴火は、戦後最悪の火山災害とされています(死者58人、行方不明者5人)。
火山の山に登る際の留意点
2014年9月27日の御嶽山噴火を踏まえて「活動火山対策特別措置法」が改正され、登山者は「自らの身を守る備えをするよう努める」こととされました。
内閣府ホームぺージによると、火山の山に登山する際は、火山情報を収集するとともに、以下のアイテムを携行すべきとしています。
・火山防災マップ(避難場所を確認する)
・携帯電話+予備電源
・雨具、タオル、ヘッドライト、ゴーグル(降灰対策)
・ヘルメット
・非常食、飲料水
・登山地図、コンパス
その後2018年1月23日、草津白根山で、過去の噴火が集中していた湯釜付近を警戒してきたところ、本白根山付近で突然3000年ぶりの噴火が起きました。スキー場で訓練中の自衛隊員1名が噴石にあたり死亡し、11名が負傷しました。
「噴火はいつどこで起こるか全く判らない」ことを、過去の事例が語っています。